2ntブログ
1月のスケジュールは

8日(金) 15時~23時
10日(日) 15時~23時
16日(土) 15時~23時
22日(金) 15時~23時
26日(火) 15時~23時【19日(火)から変更】
30日(土) 15時~23時

です。

もう今年も終わろうとしています。
ブログで今年の振り返りをすることが、例年の過ごし方で
またこうして、振り返れることがまず嬉しいです。

2015年は
考え準備する期間だったように思います。
次のステップに向かって力を蓄えるような感じ。
快楽主義者で、刹那でも脊髄反射で楽しいこと、気持ちいいことに手が伸びてしまう私。
それは性質なので治らないと思うけど、少しは考えないとね。

2016年は新しいことを始めたいと思っています。
女王様は辞めないよ!

SM納めにやってくるマゾも多かったのだけど
そうしたマゾ達と会ってプレイをしていると、今年も一年いい年だったな、人に恵まれているなと幸せを感じます。

SMの場、マゾ達は私にとって癒しのような存在で
心底楽しかったり感動できたり興奮したり
人と繋がれるのが何より。

この場を大切にしたいと思っています。

2016年は今年よりも更に楽しいことを巻き起こして、プラスの連鎖を作っていきたいと思っているので
みんなよろしくね。

今年も一年お世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
先日ブログテーマで、恋愛について書きましたが、後になってから「家族」についても書きたいことがでてきました。
SMブログなので、SMに絡めてのお話になります。

私自身のSM的な目覚めというのは、小学校に入る前からありました。
前にもブログでお話したことがあると思うのですが
妄想していた内容は「女の人が電話ボックスに閉じ込められて、みんなが見ている前でおしっこを漏らしてしまう」というものでした。

電話ボックスって見なくなったね!

あの透明な箱。
みんなから見られているのに、そこから逃げることはできない。
そして、我慢できないで漏らしてしまう。
コンクリートの床に濃い水の痕が、流れて残る。

そんな光景を思い浮かべてドキドキしていました。
幼稚園児ができ得る最大のエロスの世界だった笑

その妄想の世界には「私」は存在していなかった。
そういう状況、立場、世界に惹かれていたので、自分について、SでもMでも、どちらになっていても良かったんじゃないかな、と思うんだ。

それがSに傾いたのって、家庭環境が関係しているように思う。

我が家は一般家庭の例に漏れず、亭主関白なお家でした。
仲はいい。
だけど、子供の私は疑問だった、なんでお母さんは夜に思うようにお家を出られないの?
家事について色々言われないといけないんだろう…と。

今にして思うと、そういう環境を母自身も選んでいて、それも幸せの形だったのかなと感じる。

けれど、子供の頃の私は、亭主関白な男とは結婚しないぞ、専業主婦にはならないぞと、と固く誓ったのでした。

それが、私にSを選択させた1つの要因なのだろうか…と思うけど

…どうなんだろうね。

性格の問題かもしれないし
そんなもの関係なくSやってたようにも思う。

結局、仮定の話でしかないので
本当のことはわからないのだけど、ね。

奴隷の一人が反対のことを言っていました。
亭主関白な家で育って、自分はそういったタイプの男にはならないぞ、と思ったんです、って。

だから無関係ではないのかな、って想像するんだ。
正解はわからないし、わかったところで、変わることはないのだけど。
やっぱり人間を形作る、家庭環境って興味深い。

みんなはどう?
恋愛または家族のテーマということで、恋愛の話をしようと思います。
SMの話になります。

先ずは経歴から。
私が初めて、きちんと恋をしたのは高校生の頃でした。
それより前にも告白、お付き合いというのはあったけれど、「ごっこ」だった。
周りで、誰々君が好きという話を聞いても、共感できなくて、人を好きになるってどんなことなんだろう…?と思っていました。

その頃は、男女のお付き合いというのは男性が引っ張って、女性は甘えるものなんだ、と思っていました。
小さい頃から触れる、ドラマとか漫画の影響ですね。
それに馴染めない私はBoysLoveにはまって、女の子と付き合ったりしました。それなら、私は少女漫画のヒロインみたいにならなくていいのだから楽しかったのですね。
だから、初めてキチンとキスした相手は女の子でした。

高校生になった時デートした男の子が、私に甘えてきた。
そこが私のターニングポイント。
あ、これ、ありなんだ、って。
そこからは、それにどっぷりはまった。
初めてアルファインに行った相手は初めて好きになった男の子だった。

これ、私がやりたかったことじゃない!
私の夢じゃない!

子供の頃に知っていた虐めたいという欲求が、性欲と結びついて、それを男に自分が向けることを知ったのでした。
実際にちょっとアブノーマルなこともやりましたけれど、楽しかったのは、心を支配していく工程。

今でも、確信を持って言えるのは、私が心を強く支配して、加虐の喜びに震えた相手は、私が好きになって付き合ってきた男の子達、ということ。
精神的な支配、そして、心を嬲って、蹂躙する快感。
肉体的な部分から始まる突き抜ける快感や、それに伴う支配感とは違くて、ね。
そして、彼らも心を傷つけられたけれど、きっと、そこから快感を覚えていたんじゃないかな。
本当に苦しかったと思うけれど。
だからこそ、辿り着けるんですね。
恋愛ってすごくハードなSMなんじゃないかと思う。
こちらもとことん付き合うから際限なく欲望に任せられる。

でも続かない。そのやり方のままじゃ。
シフトチェンジして、付き合い方を変えれば続けられるけれど、それがうまくいかないと、続けられない。
だって、精神を支配して破壊していくのだから。
そうと知っていても猶、お互いその快感を知ってしまっているからなかなか、抜け出せないんだけど、ね。
関係の形を変えて、続けられるのは当然幸せなことですが、
それができないで終わってしまったのも、刹那的で儚くて、私のなかで光る思い出です。
時々、引き出しから出して、眺めて楽しんでる。

こういう過程で、人を好きになるから、私にとって恋愛とSMは離せない、というか、イコールに近いです。
好きという最初の衝動は「私のものにしたい!」という強い欲望。
6億円。
考えてみると意外に浮かばないものでした。

私、妄想力ないのか?と疑ってみましたけれども、思い出してみれば
高校生の頃、同級生に
「35までにお金持ちになって、男の子を何人か家で飼う!」と宣言していました。
それから毎晩そんな生活を考えていました。
20歳になったら、女王様になる、っていうのもその頃の宣言の一つだったのですね。

今、お家で何人も男の子を飼う、っていうのはやらなくていいかな。
お家の世話は奴隷がやってくれているし、妄想が現実になってるよなー、とふとした時に幸せを感じます。
んで、現実にちょっと触れると、面倒なこともわかるわけで、妄想は妄想のままの方が夢を持てていいかもね。

6億円あったら、やっぱりベタに地下室にSMルームのあるお家が欲しいです。
そこには、スパンキング台とか、ハンドルを回したら椅子が傾いて水の中へ入ってしまう器具を置きたいと思います。

そうそう。
先ほどの話で思い出したのですけれども、私の高校生くらいに掲げていたSM計画は
うら若き未経験の男の子を調教するというところが着地点でした。
その為には自分にスキルと経験を身に付けなければならない!というわけで、今の私になっているのですが
ただ、楽しくSMやってますね(笑)

でも思い出した。
そうそう、私、源氏物語みたいな、そういう願望が元々強いのでした。

6億円あったら
でも6億円じゃ足りないし、
6億円を利用して妾みたいなものを作っても、なんだか空しいだろうな。

若くて、才能のある、まだ遊びを知らない男の子に3000万くらいかけて
色々教える、という位の方がいいだろうな。
放蕩と快楽の時間。
私のこと好きになってもらわなくちゃ、意味ないけどね。

それはきっと続かないし、続かない方がいいと思う。
いきなり消えてしまったらいい。
一年間3000万を使って、それできっかりその子の前から私も消える。
何か人生に影響及ぼして、これから先の人生に痕を残せたらいい。
私の存在の痕が残ったらいい。

一人の人間の人生に大きく何か影響与えたいんだ。
引き摺って忘れられない何か。

あの頃語ってた妄想を叶えられる場に今いるなぁ。
だから忘れちゃってたんだろう。
ここまで思い付くまで時間がかかりました。

あの人、あいつ、あの女、
に会ってから人生狂ったわ、変になったわ、変わったわ
って、そんなのがやりたい。

それに6億円の一部が手助けできたらいいね。強烈な印象を作る一部に。

そしていつかは、私のいないどこかで、あんなことがあったんだよな、って、語ってくれたらいいなと思う。



今大切な時間を過ごしている、マゾ達もね。
でも、まだまだ、あの時は、って語らせるつもりないけれど。
2012.11.15 鞭について
鞭について、です。
頭に浮かぶのはやはり一本鞭ですが、思い入れが深くあります。
私がシオラに入ってすぐのころ、一本鞭を練習するのに、一本鞭の大好きなマゾに手伝ってもらって、毎週毎週、鞭を打っていた。
そして、私はどんどん魅了されていってしまった、のだ。
縄が「緊縛」という一つの完成されたジャンルであるのと同じように、鞭もSMを超えた一つのジャンルなんじゃないかな。

気のせいなのか?と思うけれど、やっぱり信じてるのは
シンクロする瞬間があるというところ。
マゾの身体から力が抜けて、痒いところに手が届く感じに、背中にそのままのエネルギーが入っていく感じ。
サギな言い方だけど、「心がひとつになった」ように思えるところまで、できると嬉しい。
できなかった時は悔しい(笑)

痛みが快感に変わるというか、私自身が打たれて快感に変わったことないからどんな感じなのか、正確にはわからないんだけど
打っていて、今までと変わったな、と感じる時は
身体が痛みを跳ね返そうとしなくなった時なではないかと、思う。
身体を硬くして、紛らわそうとしていたのを、そのままに受け入れることができた時。
そこまでいくのに、徐々に慣らしてヒートアップしていくのか、精神力に頼るのか、それぞれなんだろう。
一本鞭だけじゃなくて、ケインもそうなりますよね。
無反応になる。同じ痛みのはずなのに静かになる。

不思議なのが、それを続けていると、また我に返ったように、騒ぎ出すことがあること。
また続けると静かになる。

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そして、一本鞭は「心を込めたい」時に使う、かなぁ。
ケインでも、一つになれると感じることあるんだけど、この間の奴隷をおくる東京最後のプレイ、のときなんかの、ああいう時は手が伸びる。




鞭、でいい思い出はいっぱいあるんだけど、どこかで書いたかもしれないけど、
感動的な話より、ちょっと可愛いはなし、を。


私、生トマトがきらいで、私の奴隷は、何故かそれに倣って「生トマトを食べない」というルールを決めていたときがありました。(今は廃止)というか、「自分もたべない!」って言い出したのかな。

その日のアルファインの部屋は…203だったかな、いや601だったかなぁ。
取り敢えずあの「赤いライト」をつけて薄暗いなか、鞭をやっていたの。
ふわーってなって、朦朧となって、私は汗で髪の毛がくっついて、気持ちよくなって打ち終えて、側に寄ったら
倒れて仰向けになり
「…赤い!トマト!」
と言い出した。
どうしたんだ?と思ったら
「トマト!トマト嫌い!!」って叫んだの。
因みにそのマゾは、トマト好き(笑)

後で聞いたら、覚えてなかった。
赤い色は血の色じゃなくて
トマトの赤

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