2ntブログ
2012.06.03 目的意識
よく、目的意識を持ちましょうと言いますが
最近、これを考えるようになりました。特に鞭を握った時が多いかな?
「私はこの鞭を使ってどこに持って行きたいのか?」

泣き崩れさせて、露にさせたいのか
溶けるように気持ち良くさせたいのか
緊張させるために使うのか
お仕置きとして純粋な痛みに集中させたいのか

しっとりした空気にしたいのか
ぴりっとした雰囲気にしたいのか
叫びまわって変態を楽しみたいのか

えとせとら。

それを描いてから一打を始める。
最初は崩れさせてその後しっとり、とか、お仕置きから楽しみへ、とか
同じことをしているはずなのに雰囲気も反応も変わるから不思議です。
蝋燭とか抓ったりとかもそうですね。
本来なら苦痛であるものを使うときに「どうしたい?」というのを意識して始めるのが面白いです。

段々痛みに慣れさせよう、そしてエスカレートさせていこうという時
繰り返し、繰り返し痛みを与えていると、フワっと気持良さそうになる時がありますね。
この強さは許容範囲になったんだーって。
ぎゃーぎゃー騒がないんです。もうひたすらもくもくと受けている。
ところがそれをまた繰り返していくと、同じ強さなのにぎゃーぎゃー騒ぐようになる。
不思議だなぁ。

それをまた続けると静かになって…というサイクルを繰り返しながら、痛みの強さを段々と上げていく。
やっていることは、単調に見えるけれど、その変化も面白い。

この間、あるマゾに
「泣きそうになってやんのー」とからかったら
キッと表情を変えて「もう泣きません。そんなに頻繁に泣きません!」
と言うもんだから、泣かしてやろう、と思って鞭を握った。
そうやって握る鞭と、蕩けさせようと思って握る鞭ではやっぱり違うのね。
なんのツールにも言えることですが。

それにマゾが呼応するとにやけちゃう。

目を塞いで、痛みを与えていたらうっとりしていたくせに、見せ付けると怖がって騒ぎ出す。
とかね。
身体は面白いなぁ。


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