2ntブログ
2011.03.30 私達のルール
奴隷に対しての私というのは、とんでもないと思う。

すごく身勝手だ。
私がルールだ、と思っている。
そのルールというのは、どうみたって不平等で
一般社会でそんなこと言ったら、はり倒されるだろう。
理不尽な内容である。

黒いものでも私が白と言ったら、それは白なのだ。
だから2人の世界は隔離されたようになっていて、これは共依存の関係なのではないかと、最近思った。

身勝手でとんでもない、と思っていても、それを続けていられるのは
奴隷とは初めからそれを了承して付き合った間柄だからこそだ。
一般社会のルールじゃなくて、私のルールで付き合いましょう。
と言って始めた間柄。

だから、私のルール、というのは実は「私達のルール」なのだ。

一見、奴隷は強制されているように思えるけれど
それが嫌だったら、奴隷の側から関係をやめたい
と言えば終わる。

私は、奴隷契約書を交わしたことはないけれど
ネットで目にするそれらは
奴隷から関係を終わらせることはできない
という項目があるものが多い。
それには同意できない。
そんなもので、繋ぎとめることなんてできないから。


だから、逆に言えば
私は奴隷から、関係を終わらせたい、と言われれば
頷くことしかできない。

いくら、その奴隷に好意を寄せていても、引き止めることは許されない。
それをしてしまったら、ご主人様と奴隷の関係はその段階で壊れてしまうから。

「私がルール」という、私達のルールが守られなくなった時に
ご主人様と奴隷の関係は終わる。

それはね…。けっこう大変だ。

どんなことでも言うことを聞かせる、私の側にいさせる
という自信を持たなければいけないし
相手を大事に思う程、手放したくないと思うのだから、
奴隷にする
と選択する時にはその覚悟がつきまとう。

いくら好きになっても、追わないし、恐がらずに我を通し抜くことができるか。
決心してから選択する。

それで、2人の「私がルール」というルールが成立している。


…でも、もしご主人様と奴隷の関係が終わった時に
2人に、個人的な想いが残っていて
その後、いままでとは違う形で一緒にいることになったって
それは構わないと思う。

ルールがどうあっても、個人は個人のままだから。


だけど、私は
ご主人様と奴隷という関係に魅せられるのだ。