2ntブログ
2009.11.27 革命?
今日ちょうど、芸術の選択授業で
古典主義のプッサンと新古典主義のダヴィッドを比べて類似点と違いを挙げていくという授業がありました。

もう何を話そうとしているかはわかると思います。笑


まさに新古典主義をやっていて
これは、語れと言われているようで
このまま無視して、素通りできないかなぁ、と。
なんだか狙ったかのような授業でございました。
最近そんな話ばかりでしつこいよ!、と思いますよね?笑
でも流せないじゃない!

ネオクラシズムBDSM。


私は、最近SMの世界に片足を突っ込んだ新参者なので
現状しか知りません。

以前とどう変わっていったのかわかりません。
それから、私はSMビデオを見てきてもいませんし
特にかつてのM男の事情なんて知る由もありません。
その時代に触れてないから。

今しか知りません。

それでもどこからか、知って作られた
「SMクラブってこんなものだ。」
というイメージはあって
どうやら、それはクラシックなスタイル、昔ながらのスタイルに
ひどく偏ったもののようでした。

それから、そういうのが好きです。
そういうのを追い求めて
そういうSMをする為にはスキルが必要だと思ってクラブの門を叩きました。

だから正直な話をしますと
いい女王様がいなくなった!
とか
いいM男がいなくなった!

という声はよく聞きますし
実際そうなのかもしれないけど

「あんまり言わんといてくれー!」
と思うのも事実。

だって今からやろうとしてるんだもん!
今しか知らないよー!笑

というか私にとって憧れの世界だったんです。SMって。
キラキラしてる世界なんです。


それからそれから
SMをこれから始めるぞ、という若者には(私が言うなって?)
ガッチリ、クラシックSMやりたい
というM男君が多いように感じます。

やっぱり彼等も同様、今しか知らないわけです。
そんな彼等を相手に楽しみたい、楽しめるようにしていきたいとも思っています。

それに、経験者のM男からもそんな台詞を聞くことが多かったように感じます。

今の流れがネオクラシズムなのかもしれないですね。
(昔を知らないけど)

逆に理想が先走って、高すぎるんじゃないかしらん
と思うくらいです。
あ、私もそうなのかしら?

SMも絵画、音楽、建築、ファッション…と同様に流れがあるのですね。
その流れに組み込まれているというのは面白いです。
自分としてはナチュラルな感情が流れと合致しているから。


悲しいな、と感じるのは
オナニーの延長線にSMを置いていて
そこに女王様を嵌めるようにするSMです。

オナニーも気持ちいいと思うけど、せっかく二人いるんだから
向き合って「SM」がしたいです。
人間同士が重なって起きる化学反応がみたい。
組み合わせによって、気持ち、時間によって変わるから、いつまでたっても
飽きないじゃないかなぁ。

こっちを見てごらん
と向かせるのも女王様の力量なのではないかと思います。
そうして重なる気持ち良さを知りたいし
私のできる限りを使って知らせたい。


これから、どんどん楽しくなってきそうですね。




ところで、その授業の最後に先生は
「結局のところダヴィッドはフランス革命の絵画なのだ!」
と開き直るように言った。

…SMに革命が起きる?笑
プライベートでするSMとお店のSMにはそれぞれの可能性があります。

どちらがあるべき姿かというと
安直に
プライベートでしょう。
という答えが出てきてしまいがち。
そういうM男も多いんじゃないかな。

実際、私もシオラに来る前はお店でするSMには否定的でした。

結局、注文にこたえるわけだし
一緒にいる、という権力がなくなるわけだから
そんなのはSMじゃない。
と思っていました。

それからSMに対する考えや
M男との関係性に悩みはありませんでした。
確信している、ということにさえ気付かないレベルで
突っ走っていました。

私のブログの初めの方の記事を読むとわかると思いますが
迷いがありません。

これがプライベートでするSMです。
私自身の好きな事にただ走って、それに見合わない相手は淘汰していく
というやり方。

楽しいです。
ただただ楽しい。
私が好きなことだけ追えばいいのだから。

それに応えてくれる相手と繰り返していればいいのだから。


一方、お店でやるSMはそうとは言ってられません。

いろんなMやフェチがやってきて
自分がやりたい、自分が楽しいことをやればいいのではなくて
様々な欲望と付き合っていかなくてはいけません。

そこで、悩んだり、わからなくなったりしながら
なんとか道を探すうちに新しいものを手にしていくのだと思います。

私はシオラに来てからSMに対して初めて悩むのでした。



プライベートでSMをしていた時に
こいつは駄目だ
と淘汰してきた人達のことが今なら前よりも理解できると思う。
その人達とも楽しめたのだと思います。

私は、快楽主義、ポジティブなので
そういう人と楽しめるはずの時間、可能性を
楽しまなければ損だと思います。
楽しくなる前に止めちゃったらもったいない。
楽しくなるまで根気よく付き合いたいと思う。

自分が感じる、楽しいプレイはたくさんあった方がいいと思う。
それには新しいことに悩みながらも根気よく付き合うことが必要で
それから自分と違うものを持った相手も必要で
それはクラブのプレイが適していると思う。


そういう風に考えて、私はやっぱりシオラにこれからもいたいと思う。

さっきも言ったけど、欲深だから
まだ知らない楽しいことがある
と思うとそこで引けないの笑


それから、大好きなSMの世界で
自分を高めたいというのも勿論あります。
どこに出しても恥ずかしくない女王様になりたいってこと笑


これが今の私の正直な気持ちです。
おお…
動かないで家にいると久しぶりにやって来る衝動。

SMしたい!!


私のSMに対する考え、というか欲求はとってもシンプルだ。(と思う。)

「痛みや苦しみを与えたい。」
「その様子を眺めたい。」


といたってシンプル。
私にとっての一番大きな衝動は、それ。

開発したい、心を動かしたい、気持ちよくしたい…
などなど
勿論あります。
普通の女の子よりは格段に、そういう欲求は高いです。
好き、そういうこと。

だけどね。
なによりも太い、なによりも大事な大きな欲求は
虐めたいということ。

支配して、絶対的権力で痛みや苦しみを与えて
虐めぬくこと。

ああ、考えただけでテンション上がっちゃう。
この世の中に、人の痛みや苦しむ姿が好きではない人間がいることが私にとっては信じられない。

ましてや、興味をもった人間になら
一層与えたい。


ああ、どんな風にあの顔が歪むのかしら。
哀願するんだろう。
涙を滲ませて縋り付いたなら、蹴り飛ばして
より一層の痛みを与えたい。

って。



なんないの!?
みんなはなんないの!?



だって、皆さんお笑い芸人の罰ゲームを楽しむじゃないの。
それなのに、鞭で打たれて泣く姿は見たくないの?
(格別私も普通の罰ゲーム好きなわけではないけれど笑
SMテイストがあれが楽しい。
ああ、やっぱり痛いだけじゃ面白くないんだ。)


ああ踏みたい、突き放したい。


私は私の考えるSMしか知りませんでしたから
私が一番中心に考えてたものと違うものが中心にある人に
自分とは違うなと違和感を覚えていました。
だけどそんなのは違って当たり前。
同じ人とばかりやっていても発見がなく飽きてしまうしね。



勿論、共感できる部分が中心である場合がほとんどです。
私と中心が一致していなくとも。

最近ではSMってのが何者なのかわかりません。
なにからなにまでがSMで、そうじゃないのはなんなの?

気持ち良ければいいじゃん!
ってのはその通り。

だけどSM好きとしてどうしても考えてしまう。


そう考えている間にも
理屈や理論じゃどうもできない欲求が私を襲うのであった。


ああ

苦しむ姿がみたい!
私が痛みも快感も喜びも悲しみも与えたい。
運命握りたい。
って。


みんな、なんないの?笑
2009.11.13 ぐるぐる
SMが何者なのかわからなくなってきた。
人を従属させたり、痛め付けるのが好きで始めて飛び込んで
そうしたら自分が感じる形じゃないものがたくさんたくさんあった。

SMってなんぞや。

SMという器は大きすぎて
その中には性格が違うものがたくさんある。

私は人間が好きだ。
人間と関わり合うのが好きだ。
最大公約数で関わり合う付き合いは好きではない。

SMクラブってのは
なんて、自由なんだろう。
創造性が非常にある。

一度書いたことがあるけれど
私は創造者になりたい。

生み出したい。
何かを残したい。
私という存在を刻みたいと、思い続けてきた。

わからないことだらけで
面白い。

密に係わり合えるSMが好きだ。


言葉が出て来なくなっちゃったの。
ただやるしかないと思って。
先日シオラに来る前のプレイをしている私の動画を見たのだけど
目茶苦茶にしていた。

友達何人かで囲ってそこでプレイをしているのだけど
見ている私が恥ずかしくなる程だった。

けど、これって大事だなぁとも感じた。
プレイのスキル自体、向上しようと最近は気をつけていたのだけど
それによってこの目茶苦茶さがなくなってるなぁと。
勿論プロでやっているのだからただ目茶苦茶にやるのはダメだけれど。


解き放たれているというか…笑


乱暴というか天真爛漫というか…。

そういうのって実際どうなんだろうか。
マゾはどう感じるのだろうか。
そんな色々悩み過ぎないで、これぐらいの時のが良いんじゃないですか?
という意見もある。

うん。
マゾだからどうこうではなくて
やっぱり一人一人意見が違って

多い意見が正しいわけでもないんだよね。


すごく不確かなことをしているんだなぁと思う。
何が正解かなんて、どれもが本人にとったら正解で有り得るのだと感じる。
だけどそれだからって、なんでもいいんじゃなくて

自分のポリシーというか、自分の好きなやり方がないのも
好きじゃない。

SMはどうとでも有り得て
否定をしたくはないのだけど

多数決ではない自分のやり方は持っていたい。



ってまた考えてる。


天真爛漫にやっていけばいっか。
いいのか?笑