2ntブログ
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まずは3月のシフトのお知らせです。
今月は3/18(水)19(木)がお休み。それ以外はいつも通り、毎週水木日のシフトになります。

4月からはシフトが変更になります。
水曜,木曜,日曜のシフトから、木曜,日曜の週2のシフトへ変更となります。新年度4月から別のお仕事も始める為です。女王様を辞めるつもりはないので、安心してね。

この頃、日々SMについて考えていることを試しに軽くメモしています。すると、blogに書くことがたくさんあることに気付きます。どうして、今までメモして来なかったんだろう?
考えたそばから、すぐにblogに書けば良いのですが、時間的にそうもいかない時もあります。シンプルな解決法がありました。
既にいくつかテーマが溜まっているので、暫くはボリュームのあるblog更新が頻繁に続くと思います。

前回の記事のコメントに
「全く動けない状態で激しい痛みのケインを与えるのと、(たぶん痛みでお尻は動いてしまうけど)自主的に体勢を維持させるのと、どちらが好きですか?」
というのがありました。
両方好きですが、目的によってどちらかを選んでいます。お仕置きならば、この二択なら拘束して痛みを与える方がいいですね。
やはり、拘束して動けないことを確認して、恐怖と期待でいっぱいになっているマゾを舌舐めずりしながら眺めている時間が好き。

お仕置きとしてではなく、プレイとして楽しむ場合には動いてしまったとしても良いです。動かないように指示することもありますが、時間をかけながらお互いにリンクしていく感じも好きだからです。言葉を使わないでコミュニケーションしている感じがします。

お仕置きの場合、二択でないなら、私は「自主的に全く動かない」が究極的には一番好きです。これが一番厳しい、ハードな条件だと思うからです。どうしてハードに思うのか?については、リレーコラム「あなたにとってのハードプレイとはどういうプレイ?」でまた書きたいと思います。
裏シオラにて、スパンキングベンチの記事を更新しています。

アルファインMyダンジョン化計画
スパンキングベンチを使ったプレイ
こちらの記事にも書きましたが、アルファインでの私とのセッションの時に使用できます。



さて本日は「お仕置き」についてのお話。
近ごろお仕置きをする機会が偶然重なった。「お仕置き」という言葉には、なんだか甘美なロマンを感じる。その理由を改めて考えると、立場の違いが明確にそこにあるからだと思う。支配者のルールから逸れた時に、与えられる罰としての苦痛。マゾの立場の小ささを実感する時。
SM行為の中でのお仕置きにエロスを感じるのは、そのルールがいくら理不尽であっても被支配者は受け入れなければいけないからだと思う。でも、その理不尽は実は強制のようで、本当の強制ではない。選択された強制。強制を私の力で選択させることに支配を感じる。

私はマゾに束縛をしないので、支配欲、独占欲が弱いと思われるけれど、ある意味ではかなり強い方だと思う。嫌がるのを無理に従わせるのではなくて、従いたいと心から思わせたい。そちらの方が、深く支配、独占していることになると思う。心の一番大事な真ん中の特等席に私という存在を刻みたい。

私のルールに逸れたマゾへお仕置きをしている時、そんなことが一纏めになって感覚を刺激する。
お仕置きをする時の罪は軽いものから重いものと様々だけど、本当に怒りを感じている段階ではお仕置きはできない。怒りが冷めたころに、お仕置きができる。罰は罪を赦す為にある。お仕置きは赦す為の行為だ。
そして、お仕置きは私の怒りが大きかった時程、私自身が興奮してしまう。対峙しているマゾも同じように、昂ぶる。お互い不条理だなと思う。きっと、それほど感情が動き合う関係と、没頭してしまうほど真剣であることが大切なんだと思う。
不思議だけど、私たちはそこで興奮してしまうんだ。支配をリアルに感じる時に。


2020.02.09 届かない快感
目の前に欲しいものがある。手を伸ばせば届く距離にある。だけれども、その手は動かせない。
だから、身を委ねるしかない。与えられる誘惑や、十分ではなくて渇望してしまうような、苦痛にも似た幸せを受け入れるしかない。

そんな状況を、あなたの「欲しいもの」を思い浮かべて、想像してみて。それぞれによって欲しいものは違う。
あなたの崇拝する、その人の存在そのものでも良い。

誘惑して、焦らした時の、請うような瞳が好きだ。言葉で直接請う者もいるし、願うこともすべきではないと耐えながら見つめる者もいる。

でも、その時間は、とてつもなく甘いはず。焦がれる時間の切なさも好きなはず。欲して仕方がない時に与えられる、ちょっとの恵みに身体は震えるはずだよ。

全部与えられた時にどれ程満たされるだろうか。
でもそれを、今はあげないかもしれない。安心しない方が、もっとお前は焦がれられるから。

2020.01.29 2月の予定
年が明けたと思ったら1月があっという間に過ぎましたね。皆さん感じていることと思います。
私も、今月は大阪のプレイ、東京に戻ってきて年始めのプレイ、音楽ライブと充実した一ヶ月を過ごせました。今年は暖冬ですし、寒い時期ももう短いのかな?
寒いのは辛いけど、SMのテンションはあがるよね。


さて、2月のスケジュールはこちら。
6(木)はお時間短くなって、14時から18時半。9(日)、13(木)はお休みです。
それ以外の日は水、木、日の15時からラストまでです。




マゾが私の前で動けないで喘いでいる姿が好き。どんな刺激を与えるか、私の選択で運命が決まるんだ、って感じている時。
そんな風になってしまうのをわかりながら、怯えつつも拘束を受け入れている姿も好き。
2020.01.17 中毒性
「芸人の中で誰が1番好き?」と聞かれることがたまにある。私はお笑いが好きだけど、劇場に熱心に通ったり、若手に詳しいわけでもないから、答えに困る。だけど、寝付きの悪い時に聞くラジオはもっぱら「オードリーのオールナイトニッポン」だからオードリーが好きなんだと思う。近年の漫才も好き。

SMブログでなんで唐突にそんな話をしているかというと、若林さんのエッセイ「社会人大学 人見知り学部 卒業見込み」を読んで、共感するところがあったから。(最新刊を読んで昔のエッセイも読みたくなった。)
私が人生で好きなことは、SMと音楽とお酒とお笑い。共通項がある。
若林さんのエッセイで、芸人が口を揃えて「大勢の人間の笑い声には中毒性がある。」というところでは、先日の音楽ライブのステージを思い出して、その中毒性を思い出していたのだけど続けてこんな文章があった。

"このあいだ、精神科医の人と話をしていてお笑い芸人を目指す人の特性について聞いた。即答で「人間不信でしょうね」と言われた。
笑うという反応は人間の中でも嘘のつきにくい反応なのだそうだ。"
"(前略)漫才をやっている時にお客さんの笑い声を聞いて圧倒的だなと驚いた。
それは、反応への実感性と信用度だ。"

同じようなことを考えて言葉にしている人がいるんだなと、高揚した。「反応への実感性と信用度」という言場には、言語化してくれた!と、感銘も受けた。
私は、SMの好きなところの、重要な一つとして「嘘のない反応」があると言ってきた。私は人間不信ではないけれど、学生の頃から誰とでも共通して話せる話題が好きではなくて、大きいグループでの付き合いは避けていた。協調性によって本心が聞けないだろうと、信用していなかった。

では、なんで嘘のない反応や、本心が欲しいのだろう、と考えると、そこには「知りたい」とか「繋がりたい」という気持ちが出てくる。SMの場合はそこに「支配したい」がでてくるのだけども、大きく括ると「支配したい」は「繋がりたい」に括られると思う。
ステージ上もSMプレイ中も、現世ではないような異世界にいるような感覚に陥る。私たちは普段、様々な人間関係の中で役割、立ち位置がある。どれの自分も嘘ではない。ただ、異世界と感じる場所にいる瞬間はそれが消えて、いまそこにいる人間しか存在しないような感覚になるんだ。そうして、そこにいる人と「繋がっている」と感じる。

そんな時間にはやっぱり中毒性がある。
SMプレイなんて、その上、性的快感もあるわけで、やめられるわけないよね。