2ntブログ
この間11日金曜日のお勉強会
私は朝から学校があったので、夜からの参加になりました。

勉強会が終わった後
ビューティトレナーの先生と、リエさんと秋葉さんとマイさんとご飯に行きましたら
マイさんが酔っ払って面白かったんです。笑

M男になりたかった!

と熱弁をふるうマイさん。
チ○コが欲しかったと叫ぶマイさん。

M男になってS男に攻められたいそうで…
ふむ。私もチ○コが欲しいのは確かに。BLが好きだった私にもその欲はあります。
マイさんはM男(女じゃダメ)になりたい反動でSに突き抜けたんじゃなかろうかと
話していましたが

私もゲイのS男になってアナルをつくのは夢でした。
中学の頃の友達にペニバンの話をすると
「ルイ子の夢がかなったじゃん!」
と言われる程当時熱く語っていたのでした。


ヒートアップしたマイさんが


「私はですね、何か前世で悪いことをしたから前立腺がないだと思います。」






・・・・・



えーーっ!!!


なんだそれ~。
と一同唖然でございました。

どっからそんな言葉が出てくるのかサッパリわからなくて
突拍子なくて面白かったです。
「前」繋がり?笑


そうそう
「だったら私とやりましょうマイさん!」
と意気込む私に
「女じゃダメです!」
と断られたのですが

結局濃厚なキスへと繋がりました。
隙さえあればやろうとする私。


先日メルマガで掲げた
「どこに出しても恥ずかしくない女王様になる」
発言はウケ狙いじゃなかったのだけど
なんだか笑われてしまっています。


マイさん酔っ払ってなくても、たまには女もどうですか?笑
2009.09.05 戯言
私は本気で自分の事を「幸せの星に生まれた人間だから幸せに生きる」
と思い込んでいる。

そして後付けだけど
そう思い込むことが幸せを導くと思っている。

そう思える自分にまたまた幸せだと感じて
幸せのサイクルに自分がいるんだと思う。
冒頭に戻る。

といった感じ。


それは今まで
いい人間に囲まれて生きてきたからだと思う。
たった今もそう思う。

その状況は私を大切に思う人間が守ってくれたから
その状況に生きてこれたのだと思う。

そういう私の態度は人に愛されると傲慢にも思う。
(ここが性格悪い。)

そうしてやっぱりそれは幸せだ、と思う。
やっぱり冒頭に戻る。


私は好きなものに囲まれて好きなことばかりして生きている。

こんなに自分は幸福なんだと自慢したい。


好きなものに対して
悩める私は幸せだ。
どうだ。

こんなに思える私を作ってくれた周りの人々は素晴らしい。
愛されてると、思う。
庇護の下にいると感じる時、切なくなる。



そう言い合える相手がいるのは幸せだ。
2009.09.02 困ったものだ
お腹が空いたから
ご飯を食べる。

満腹になったら
SMがしたいから
SMをする。

またお腹が空いたから
ご飯を食べる。
お酒を飲む。

満腹になって気分がよくなったら
SMがしたいから
SMをする。

眠くなってきたから
眠る。

起きたらまたSMのことを考えている。
2009.08.22 惚気
私はSMが好き!というのと同時に愛してるなぁ、とも思う。
大袈裟な言い方だけど。

そう思うのはSMが好きな人間に囲まれている時だ。一緒にいる時だ。

やっぱりSMっていいよね!
飽きないよね!
楽しいよね!
こういうシチュエーションってもえるよね!

と語っている時ってSもMも関係なく、ただ愛好家としてのお互いだ。
それはなんだか貴重で嬉しくなる。ほくほくと嬉しくなる。

普通だったらあんまり会えないし語れないじゃない。
それを思う存分語れる事って実はすごく希少な事だ。
自分が好きで大事で大きな部分を共有できるのは、すごく幸せな事だ。

私の中の大きな存在、大好きな存在
それをあなたも同じように思ってる。
ああ、万歳!SM!ヤッホー!

となるのである笑

NO SM
NO LIFE
(なんかすごくピッタリ笑)
な人間を私はすごく愛しい同志だと感じる。
だから逆にSMを好きな振りをしてそうじゃない人間は好きじゃない。冒涜だ!笑

無理してやる事じゃない。
無理して虐めても意味がない。
自分が好きで相手が好きじゃないことは意味がないし逆も意味がない。
重なる部分でないと、単なる作業になってしまう。


当然だけど、私は私のSMを愛している。愛しい。大切。
甘い、快感、涎が滲み出てくる。
あの瞬間、
お前のあの時の顔、言葉、思い。

私は欲張りな人間です。
だから何度も反芻する。
言葉を再現する。顔を再現する。声音を再現する。

名前を呼ぶ声にも種類があって、どれも違う声だ。
「ルイ子様」
と呼ぶ声は、大好きで
ルイ子になっている私もやっぱり大好きなのである。

大好き!
そう言ったら
同じ大きさで
大好き!
と返ってくる。

それはそれは幸福なことです。

ほろ酔いでのろけてるので文が変なのは許してくんろ。
同じSM好きに免じて。



本当に幸せ。
2009.08.19 SM心と恋心
前回に引き続き、今回も本音の部分を明かしていきたいと思います。

S、M限らず
「虐めたい」「虐められたい」という欲望は
好きだという気持ちと密接だろうと思う。

実際私も、SM遍歴にも少し書いたけど
当時の彼にSMを持ち込んで失敗してしまって、SMはSMのパートナーとやろう!
と思ってパートナーを募集し始めたのだった。

当時思っていた私のSM観は「SはMをある種の恋をさせねばならん」である。
それができなければ自分に力量がなかった、という事でご主人様になる資格がないのだ。

この人と一緒にいたいから、耐えられる

だから、私は無理強いをしたくなかったし
よくある奴隷契約書の「奴隷は自分から関係を切ることはできない」という項目はしっくりこなかった。
選択の自由は勿論Mにもあって、したいからする、いたいからいる、でないとこちらも意味がないと思う。


私はパートナーを好きだとは思うけど
どんな種類の好きかと聞かれたら答えられない。
でも、自分の中に甘えというか楽になりたい、というような
堕落的な勢いで
ストッパー、若しくはスイッチを変えたら
それは恋愛のような「好き」になってしまうと思う。
(私はここでSM的欲求と恋では恋の方が堕落しているとほざいている。本当?笑)

それはすごく勿体ない。
そうなったら元のようには戻れない。

反対に
相手も相手で私を好きなんだと思う。
やはりどんな好きかはわからないし、いろんな気持ちが混ざるから
分けられるものではないだろう。
それから気持ちを言葉にする事は許されない、私から許されていない。特に約束したわけではないけれど。

微妙な均衡が保たれていて、私はそれをまた愛している。

だけど集中して向かい合って
気持ちを制御できないようなくらいまで
追求して追い詰めて、おかしくしたいとも思う。

SMは狂いやすい。
なぜなら、マゾはもとから自己制御を外しているし、外される事を望んでいるからだ。

そして私はそれを外したいとも思うし
未だ残る理性と葛藤する様も見たいと思う。

そんなに楽しいことは馴れ合いが生まれたらできないのだ。
それはもう知ってるから、私は甘えた欲求は止める。


どこまでいけるか見てみたい。
破壊への道だとしても触れてみたい。

私はSとしてMを見続けたい。
それが切り取った空間や時間やそうでないとしても。